日々の出来事
4月 (岩手日報より)
3月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月
4月30日
1973年(昭和48年)
大仏次郎が死去
「鞍馬天狗」などで知られる作家、大仏次郎が転移性肝がんのため、都内の病院で死去。75歳。
外務省勤務の後、24年に「鞍馬天狗」などで大衆小説家として文壇に登場。現代小説でも「霧笛」「帰郷」
などの話題作を発表し、ノンフィクション、史伝でも多くの作品を残した。
1945年
ヒトラーが自殺
ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーがソ連軍包囲下のベルリンの地下ごうで、前日に正式結婚した
ばかりのエバ・ブラウンを伴い自殺した。56歳。ドイツの敗北はこれで決定的となり、ベルリン陥落後の
5月7日、ドイツの降伏調印式が行われ、欧州での大戦は終わった。
4月29日
1980年
ヒチコックが死去
サスペンス映画の巨匠、アルフレド・ヒチコック監督が、米カリフォルニア州ベルエアの自宅で死去。
80歳。英国で監督として活躍の後、39年にハリウッドに移り、翌年の米国での第1作「レベッカ」が
アカデミー作品賞に。「サイコ」「鳥」など恐怖とサスペンスの傑作を撮り続けた。
1977年(昭和52年)
最年少の柔道日本一誕生
東京の日本武道館で行われた全日本柔道選手権で、19歳の山下泰裕4段(東海大2年)が優勝。
史上最年少の柔道日本一が誕生した。それまでの年少記録は21歳。高校3年で初出場した75年の
全日本で準優勝まで進出。この日の決勝の相手は前年優勝の遠藤純男5段(警視庁)だった。
4月28日
1952年(昭和27年)
対日講和条約が発効
「対日講和条約」の批准書寄託式が米ワシントンで行われ、日本が独立を回復。続いて「日米安全保障
条約」の批准書が交換され、同条約も正式に発効した。講和条約は安保条約とともに前年9月
サンフランシスコで調印された。調印式には吉田茂首相らが出席した。
1945年
ムソリーニを銃殺
イタリアのファシスト独裁体制を率いたムソリーニが同国北部のコモ湖に近い村で愛人とともにパルチザン
部隊将校の手で銃殺された。61歳。スイスに逃亡しようとしたムソリーニは27日に捕まり、処刑の翌日、
遺体はミラノのロレッタ広場でさらしものにされた。
4月27日
1976年(昭和51年)
「四畳半」裁判に有罪
永井荷風の作と伝えられる戯作春本「四畳半襖(ふすま)の下張」を雑誌に掲載し、わいせつ文書販売
罪に問われた作家の野坂昭如被告らに対し、東京地裁が「今日の社会通念に照らしてもなお、わいせつ
文書に該当する」として野坂被告に罰金10万円などの有罪判決を言い渡した。
1970年
原子力ペースメーカーを移植
パリのブルッセ病院のポール・ローランス博士が、心筋炎患者の58歳女性の体内に世界で初めて
原子力ペースメーカーを移植することに成功したと発表した。寿命は10年とそれまでの電池式
ペースメーカーの18カ月よりかなり長いとされ、心臓病患者には大きな朗報となった。
4月26日
1990年(平成2年)
小選挙区比例代表制を提言
政府の第8次選挙制度審議会が自治省で開いた総会で、衆院に小選挙区比例代表制をを導入するよう
提言した答申を決定。海部首相(当時)に手渡した。答申は政治改革のため「政策本位、政党本位の
選挙の実現」「政権交代の可能性を高める」提言であると強調した。
1908年
第1回精神分析学大会を開催
オーストリアのザルツブルクで第1回国際精神分析学大会が開催され、フロイト、ブロイラー、ユングらが
参加した。「ヒステリー研究」などのフロイトの著作は学会から無視されていたが、フロイト支持のチューリヒ
大学のブロイラー教授が前年11月「フロイト協会」を結成したことが大会開催の契機となった。
4月25日
1982年
シナイ半島の返還完了
第3次中東戦争以来、シナイ半島を占領していたイスラエルが同半島からの撤退を完了、エジプトが
15年ぶりに半島の主権を回復した。イスラエルは78年のエジプトとの平和条約に基づき、同年5月から
段階的撤退を開始。この日の東部からの撤退をもって両国の戦争状態が終わった。
1947年(昭和22年)
新憲法下で初総選挙
新憲法下での初の総選挙が行われ、大方の予想に反して社会党が第1党に躍り出た。社会党の
獲得議席数は143で自由党の131、民主党の124を上回った。この選挙で吉田茂らが初当選。
片山哲社会党委員長は5月23日に首相に指名され、6月1日に片山内閣が成立した。
4月24日
1955年
AA会議が閉幕
中国の周恩来首相、インドのネール首相らアジア・アフリカの29カ国代表が参加し、インドネシア・バンドン
で開催されていた第1回アジア・アフリカ会議(AA会議)は、民族自決の原則支持などを盛り込んだ
最終コミュニケを発表し閉幕した。日本の高碕首席代表もこの日演説した。
1951年(昭和26年)
電車火災で106人死亡
国電京浜東北線の桜木町駅近くで赤羽発桜木町行きの5両編成電車が火災を起こし、106人が死亡、
重軽傷者92人を出す大惨事となった。戦時設計の木材を多用した車両だったため、発火から10分ほどで
1両目が全焼するなど火の回りが早かった上、窓が開きにくかったことなどが被害を大きくした。
4月23日
1975年
米がベトナム戦争終結を宣言
フォード米大統領はニューオーリンズのツレーン大学で演説し、ベトナムでの米国の役割は終わり、
再び戦うことはないとしてベトナム戦争の終結を宣言した。戦争を「悲しい出来事」と形容した大統領は
「結束して傷をいやし、自信を回復しよう」と国民に訴えた。
1949年(昭和24年)
1ドル=360円に
連合国軍総司令部(GHQ)が日本政府に対し、対米ドル公定為替レートを1ドル=360円とし、25日から
実施するよう指示した。それまでは商品別為替レートが実施されていたが、新たな単一為替レートより
円安だった生糸、木材、造船各業界などへの打撃が大きかった。
4月22日
1969年
ヨットで無寄港世界一周
ヨットの「スハイリ号」で一人旅を続けていた英国のロビン・ノックスジョンストンが312日ぶりに出発点の
英国南西端の港に無事帰着。ヨットでの単独無寄港の世界一周を初めて達成した。難コースを選んだ
ため、出航した当初は「世界一周は無理だろう」という見方が強かった。
1925年(大正14年)
治安維持法を公布
思想・結社の取締法である治安維持法が、法律第46号として公布された。3月の衆院本会議で可決
された同法について政府は「国体を変革する者のみを取り締まるもので、言論・思想を圧迫するもの
ではない」と説明したが、翌年1月には早くも思想弾圧の形で適用された。
4月21日
1965年(昭和40年)
「団結権」条約承認を可決
衆院が国際労働機関(ILO)の「団結権および団体交渉権についての原則の適用に関する条約」
(87条条約)承認と国内関連4法案の3党共同修正案を可決した。その後参院も可決し、政府は
6月14日、ILOに批准書を寄託した。
1946年
ケインズが死去
英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズが心臓発作のため、サセックスの自宅で急死した。62歳。
第1次大戦直後、世界的に注目を集めた著書「平和の経済的帰結」を発表。その後、大著「貨幣論」や
「雇用・利子及び貨幣の一般理論」などで「ケインズ革命」と称される大きな影響を近代経済学に与えた。
4月20日
1985年
マラソンで「夢の7分台」
オランダのロッテルダムマラソンで、ロサンゼルス五輪の優勝者である38歳の銀行員カルロス・ロペス
(ポルトガル)が、2時間7分11秒の驚異的な世界最高記録で優勝した。それまでの世界記録は
スティーブ・ジョーンズ(英国)の持つ2時間8分5秒。
1965年(昭和40年)
参院緑風会が解散
参議院の院内交渉団体、緑風会が都内のホテルで総会を開き、6月1日で解散することを決めた。
第1回参院選で当選した佐藤尚武らが良識的参院活動を目指し、無所属議員を結集して47年5月に結成。
一時は96人を擁する大会派となったが、その後は保守党への入党者が続き、佐藤ら4人が
残るばかりだった。
4月19日
1987年(昭和62年)
ロック公演中に将棋倒し
東京・日比谷公園の野外大音楽堂で開かれたロックバンド「ラフィン・ノーズ」のコンサート中、興奮した
聴衆がステージに駆け寄って将棋倒しとなり、3人が死亡、26人が重軽傷を負った。約3000人収容の
会場は満員状態。事故のため、公演は途中で打ち切られた。
1960年
ソウルに戒厳令
韓国の首都ソウルで、正副大統領選の無効と「李承晩独裁政権の打倒」を叫ぶ数千人のデモ隊が
大統領官邸に押し寄せ、警官隊などと衝突。政府はソウル、釜山など5市に戒厳令を出したが、26日には
50万人の大群衆が首都をデモ行進。李大統領は翌日、辞任に追い込まれた。
4月18日
1955年
アインシュタインが死去
ナチに追われ米国に亡命した理論物理学者アルベルト・アインシュタインが胆のう炎などのため、
ニュージャージー州プリンストンで死去。76歳。1905年に光量子仮説、ブラウン運動の理論、
特殊相対性理論の3論文を発表、物理学に革命をもたらした。
1943年(昭和18年)
山本五十六が戦死
連合艦隊司令長官、山本五十六がパプアニューギニアのブーゲンビル島上空で搭乗機を米軍機に
撃墜され、戦死した。59歳。この日、ラバウルを出発、ブーゲンビルの最前線の視察に向かう途中だった。
その死は国民に伏せられ、発表されたのは5月21日。元帥の称号を贈られ、国葬が営まれた。
4月17日
1989年(平成元年)
毎日記者が殴られ死亡
藤沢市片瀬海岸の小田急片瀬江ノ島駅前で、近くに住む毎日新聞論説室の吉野正弘顧問が暴走族と
みられる男2人に殴るけるの暴行を受け、翌日未明死亡した。56歳。暴走族をいさめようとして逆に暴行を
受けた。この地域は暴走族のたまり場となり、付近住民は騒音に悩まされていた。
1961年
反革命部隊が武力侵攻
米国とグアテマラで訓練を受けた反カストロ派のキューバ兵約1500人が、キューバ中央部の
プラヤラルガなど3カ所で武力侵攻を開始した。しかし、中南米の共産化を懸念し、侵攻を計画したとされる
米国の支援はなく、72時間足らずで敗走、約1200人が捕虜となった。
4月16日
1972年
北ベトナム都市爆撃を再開
米軍機が北ベトナムの首都ハノイと同国軍の重要補給基地である港湾都市ハイフォンなどを一斉に
爆撃した。両都市への爆撃は68年3月の部分停止以来4年ぶり。ハイフォン攻撃には約200機が参加、
最大規模の攻撃となった。
1906年(明治39年)
急行より速い「最急行」登場
官営鉄道が新橋〜神戸間を13時間40分で走る「最急行列車」の運転を始めた。この区間では1896年
以来、17時間半かかる急行列車が走っていたが、最急行は平均時速44.2キロで走り、所要時間を
4時間近く短縮した。最急行は1、2等の4両編成。急行料金は1等が1円50銭、2等1円だった。
4月15日
1988年(昭和63年)
日本赤軍メンバーを手配
イタリア・ナポリの検察当局は、同市中心部の米軍クラブで前日起きた爆弾テロ事件の犯人が日本赤軍
メンバーの奥平純三であると断定、国際指名手配した。奥平は、87年にローマの米英大使館に
ロケット弾が撃ち込まれた事件でも手配されていた。
1937年
「奇跡の人」が来日
目、耳、言葉が不自由な3重苦を克服した「奇跡の人」ヘレン・ケラーが来日した。かねてから親交の
あった盲目の社会事業家、岩橋武夫と記者会見に臨み「私はこの国の体の不自由な人たちのために
仕事を始めたい」とあいさつ。滞日中、全国各地で歓迎を受け、身障者対策の必要性を訴えた。
4月14日
1963年(昭和38年)
野村胡堂が死去
「銭形平次捕物控」などの大衆小説で知られる紫波町出身の作家、野村胡堂が肺炎などのため、
都内の自宅で死去。80歳。多くの大衆小説を発表してこの分野の新生面を切り開き、特に「銭形平次
捕物控」は次々と書き続け、50巻に及んだ。また「あらえびす」のペンネームで音楽評論でも活躍した。
1929年
第1回モナコ・グランプリ開催
モナコのモンテカルロでレーシングカー16台が参加し、第1回モナコ・グランプリが開催された。
険しい山岳部や海岸沿いの道路などからなる1周3キロ余りのコースを100周するレースで、ゴールイン
できたのは10台だけ。観客の熱狂を呼び、やがて世界を代表するレースに成長した。
4月13日
1990年
「カチンの森」事件で謝罪
ソ連は、第2次世界大戦初期に起きたポーランド軍将校大量虐殺事件(カチンの森事件)について、
事件がソ連の秘密警察による犯行であることを初めて認め、陳謝した。ソ連当局がほぼ50年ぶりに
犯行を認めたことで、大戦史のなぞの一つが解明された。
1925年(大正14年)
軍事教練を義務化
陸軍現役将校学校配属令(勅令135号)が公布され、全国の中等学校以上の学校(私立学校などは
申請制)に陸軍が2000人近い現役将校を配属、男子学生・生徒に軍事教練を行うことになった。既に
体操科の一部に兵式体操が取り入れられていたが、新たに銃剣術など本格的教練が加えられることに
なった。
4月12日
1992年(平成4年)
山村代議士刺殺される
衆院予算委員長で元運輸相の山村新治郎代議士が千葉県佐原市の自宅で二女に刺され、死亡した。
58歳。64年に31歳で初当選。運輸政務次官時代の70年4月、赤軍派による「よど号」乗っ取り事件で、
人質の乗客の身代わりとして朝鮮民主主義人民共和国の平壌へ飛び、話題となった。
1978年
ビキニ環礁住民を強制移住
米内務省は、原水爆実験の島として知られる西太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁に人体に悪影響を
与えるレベルの放射能が残っているため、島民112人を強制的に再移住させ、向こう30〜50年
立入禁止とすることを決めた。環礁では40〜50年代に20回以上の実験が行われた。
4月11日
1968年(昭和43年)
川崎競輪で暴動
川崎競輪場で開かれていた同市営競輪4日目の最終レースが終わった直後、レースが不明朗だと
ファンが騒ぎ出し、正面スタンドや第1投票所、第1払戻所に放火。投票所が全焼するなどの被害が出た。
この騒ぎで観客28人が負傷。警察は106人に任意同行を求め、うち9人を放火現行犯などで逮捕した。
1961年
アイヒマン裁判を開始
第2次大戦中のユダヤ人大量虐殺の責任者だった元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの裁判が、
イスラエルで始まった。被告は敗戦後、アルゼンチンに逃亡したが、60年イスラエル秘密機関が誘拐。
死刑を宣告され、62年5月に刑が執行された。
4月10日
1970年
ビートルズが分裂
ザ・ビートルズの所属プロダクション、アップルが、ポール・マッカートニーのビートルズ脱退を正式に
発表。10年間にわたり、世界の若者を熱狂させた人気グループが分裂した。ビートルズは64年の
米国公演以降、世界的スターとなり、稼いだ金額も驚異的だった。
1946年(昭和21年)
戦後初の総選挙実施
女性に参政権を認め、有権者の年齢を従来の25歳以上から20歳以上に引き下げた改正選挙法の
もと、戦後初の総選挙が行われた。定員466人に対して2770人が立候補。結果は、自由党など
保守2党の勝利だったが、女性有権者の関心が高く、39人の女性代議士も誕生した。
4月9日
1959年
米建築家ライトが死去
旧帝国ホテルの設計などで知られる米国の著名建築家フランク・ロイド・ライトがアリゾナ州フェニックスの
病院で死去。89歳。シカゴの建築事務所で修行した後、独立。水平的で環境に調和した合理的な建築で、
近代建築運動の指導者となり、日本の現代建築にも大きな影響を与えた。
1952年(昭和27年)
「もく星号」が消息絶つ
日本航空の福岡行き定期便「もく星号」が風雨の吹き荒れる羽田空港を離陸して20分後、消息を絶った。
一時、静岡県沖で乗客・乗員計37人の全員が救助されたとの情報が流れたが、翌日、伊豆大島・
三原山の火口付近で墜落した機体が見つかった。生存者はいなかった。
4月8日
1974年
ホームランで世界記録
米大リーグ、アトランタ・ブレーブスの黒人強打者ハンク・アーロン外野手が、地元アトランタ球場での
試合で通算715号のホームランを放ち、「不滅の金字塔」といわれたベーブ・ルースの714号を抜いて
世界新記録を達成した。「静かなる男」アーロンの生涯記録は755本。
1932年(昭和7年)
反トーキー争議に突入
松竹の興業会社、SPチェーンが、浅草の大勝館など2映画館の弁士10人に解雇を通告。10人は
直ちに東京全市の弁士200人の応援を得て争議に入った。背景には、前年から本格化した日本映画の
トーキー化があり、弁士、楽士の失業問題がその後深刻化した。
4月7日
1949年
「南太平洋」が幕開け
米ニューヨークのブロードウェーでリチャード・ロジャース(作曲)、オスカー・ハマースタイン(作詞)
コンビのミュージカル「南太平洋」が幕を開けた。ミッチェナーの短編集「南太平洋物語」をもとに
米従軍看護婦の恋を描いたこの新作は、1925回のロングランを記録した。
1945年(昭和20年)
戦艦「大和」が撃沈
世界最大の戦艦といわれた「大和」が沖縄に向かう途中、九州南方で米軍機の集中攻撃を受けて
沈んだ。排水量6万4000トン、46センチ砲9門を備える大和は連合艦隊の最後の持ち札。米海軍の
16隻の空母から発進した386機から2時間攻撃され、600メートルの火柱をあげて沈没した。
4月6日
1987年
イスラエル大統領が西独訪問
イスラエルのヘルツォク大統領が同国大統領として初めて、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の過去が
ある西ドイツを公式訪問した。訪問中、強制収容所跡でのユダヤ人犠牲者の追悼碑除幕に立ち会うなど
した大統領は、一貫して過去にこだわる姿勢を崩さなかった。
1984年(昭和59年)
「世紀の二枚目」が死去
映画、舞台で時代劇のヒーローを演じ続けた美男俳優、長谷川一夫が頭がい内のうようのため、
都内の病院で死去した。76歳。18歳の時、松竹映画「稚児の剣法」でデビュー。華麗な演技で
女性ファンを引きつけ、一躍、銀幕のスターに。人気シリーズ「銭形平次」は17本続いた。
4月5日
1975年
蒋介石が死去
台湾の蒋介石総統が心臓まひのため、台北の自宅で死去。87歳だった。第2次大戦中はルーズベルト
米大統領らと並ぶ世界の「4巨頭」にも数えられたが、戦後、中国共産党との内戦に敗れ、49年に台湾に
逃れて国民党政府を樹立。大陸への反撃の夢は実現しなかった。
1927年(昭和2年)
鈴木商店が破産
最盛期には三井、三菱をしのぐ日本最大の貿易商社となった鈴木商店が破産した。神戸に本店を置き、
日露戦争前後から政府出資の特殊銀行である台湾銀行からの巨額融資で事業を拡大。一大財閥に
成長したが、第1次大戦後の不況で経営が悪化。銀行の新規貸し出し中止で破産した。
4月4日
1949年
NATOが発足
北米と西欧間の集団防衛体制、経済協力などを20年の期限で定めた北大西洋条約(NATO条約)の
調印式がワシントンの米国務省で行われた。米国、カナダと西欧10カ国が調印した条約は、加盟国に
対する攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団自衛権を行使する条項を盛り込んだ。
1905年(明治38年)
早大野球部が米遠征
安部磯雄部長が率いる早稲田大学野球部一行13人が米国遠征のため、横浜を出発した。
日本のスポーツ史上、初の海外遠征で、安部部長が大隈総長をを説得して実現した。戦績は26戦して
7勝19敗。戦績は芳しくなかったものの、2塁走者のけん制法など本場の技術を学んで持ち帰った。
4月3日
1979年
中ソ友好条約の廃棄を通告
中国が「中ソ友好同盟相互援助条約」の廃棄を決定、ソ連に通告した。中華人民共和国が成立して
間もない50年2月にモスクワで調印、同4月に発効した条約は、両国間の外交、経済などの関係強化を
うたった。しかし、60年代以降の関係悪化などで条約は有名無実化していた。
1901年(明治34年)
労働者懇親会を開催
神武天皇祭のこの日、東京・向島で花見を兼ねた「第1回日本労働者大懇親会」が開催され、
約2万人の労働者が参加した。メーデーの前身となるこの催しを企画・主催したのは社会記事で売る
「二六新報」。労働運動の高まりを背景に企画は人気を呼び、入場券はたちまち売り切れた。
4月2日
1982年
フォークランドを占領
アルゼンチン軍が、英国と領有権をめぐり150年間争ってきたフォークランド諸島に2000人の兵力で
上陸。短時間の戦闘の後、英海軍部隊を降伏させ、諸島領有を宣言した。英国は即時撤退を要求したが、
アルゼンチンは拒否。英軍は総攻撃をかけて6月に奪回した。
1956年(昭和31年)
高村光太郎が死去
詩人、彫刻家の高村光太郎が肺結核のため、都内のアトリエで死去した。73歳。彫刻家、高村光雲の
長男で、東京美術学校卒業後、欧州に留学してロダンに傾倒。帰国後「スバル」同人となり、「道程」で
格調の高い口語自由詩を完成させた。他に「智恵子抄」「ロダンの言葉」など。
4月1日
1964年(昭和39年)
モーニングショー
初のワイドショー「木島則夫モーニングショー」がNET(現テレビ朝日)で放送開始した。
主婦に向けた朝8時半からの1時間番組で、ニュースに生活や料理、健康、育児などの話題を盛り込んだ。
初回のゲストは楠トシエ。好評で翌年には他局も追従した。
1952年
新装のピース登場
米国の有名デザイナー、レイモンド・ローウィにデザインを依頼した、たばこの「ピース」が発売される。
紺地に白い文字と金色の鳩がオリーブの葉をくわえた図案。総理大臣の給料が11万円といわれた
時代、150万円のデザイン料が破格と話題になった。
1947年(昭和22年)
6・3制教育始まる
全国の小学校、中学校でこの日から、6・3・3・4制の新学制に基づく義務教育が始められた。
教育の機会均等を図る新学制は、6年間の小学校に加えて3年間の中学校を義務教育とし、
「男女共学」を原則とした。高校は翌年、新制大学は49年にそれぞれ開設された。
1938年
蛍光ランプ制作に成功
米ゼネラル・エレクトリック(GE)社が、発光効率がいい蛍光ランプの制作に成功、正式に販売すると
発表した。一般に普及していたエジソン発明の白熱電球は熱放射が多いという欠点があったため、
GEは35年から蛍光放電管の実用化に本格的に乗り出していた。