日々の出来事
12月 (岩手日報より)
3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 1月 2月
12月31日
1974年
米で41年ぶりに金解禁
米政府が、この日午前零時(東部時間)をもって米国民による金の売買・保有を解禁した。
33年に、当時のルーズベルト大統領が金保有を禁止して以来、41年ぶり。
これを受け、ニューヨークなどの6つの商品取引所が金取引を開始。百貨店なども金を売り始めた。
1935年(昭和10年)
寺田寅彦が死去
エックス線による結晶構造解析の研究で知られる物理学者で随筆家の寺田寅彦が、
東京・本郷の自宅で死去。57歳。旧制五校で夏目漱石に師事。東大教授を務める傍ら
「吉村冬彦」のペンネームで「藪柑子集」「冬彦集」「万華鏡」などの名随筆を発表した。
12月30日
1944年(昭和19年)
大型特殊潜水艦が完成
潜水艦と航空母艦の機能を併せ持った大型特殊潜水艦「伊400」がこの日、完成した。
全長122メートルで航続力に優れ、攻撃機3機を搭載できる。45年2月までに4隻が完成。
うち2隻が7月に出撃したが途中で終戦となった。
1903年
劇場火災で588人死亡
米イリノイ州シカゴのイロクア劇場で「青ひげ」の公演中に火災が起き、観客2千人のうち、
588人が死亡する大惨事となった。これを契機として、興行施設の防火・防災条例ができ、
防火壁の増設、小道具の不燃化などの措置が義務付けられた。
12月29日
1952年(昭和27年)
サイクロトロンを試運転
東京の科学研究所が前年12月から建設していた戦後初のサイクロトロン(原子核加速装置)が完成、
この日午後、試運転に成功した。放射性アイソトープ(同位元素)の製造などに用いられるサイクロトロンは
講和条約でも禁止されず、政府補助金などで完成した。
1926年
リルケが死去
オーストリアの詩人・作家ライナー・リルケが白血病のため死去。51歳。19歳で詩壇に登場。
生の本質、愛と孤独と死の問題を追及し、20世紀最大の詩人の1人となった。
代表作に「マルテの手記」「ドゥイノの悲歌」「鎮魂歌」などがある。
12月28日
1923年
エッフェルが死去
フランスの土木技師アレクサンドル・エッフェルが脳出血で死去。91歳。19世紀後半から斬新な
鉄骨建造物を次々と発表。1889年のパリ万国博覧会のため、150万フランの国庫補助を得て
高さ300メートルのエッフェル塔を建設。パナマ運河工事にも参加した。
1903年(明治36年)
軍費調達で国債乱発
対ロシア関係が緊迫化したため、政府が緊急軍事費調達の勅令を仰ぎ、枢密院の可決を得て直ちに
発布した。これを受けて政府は、内国債の国庫債券・臨時事件公債として額面計6億7200万円、
外債として英貨公債同約8億円に上る国債を乱発した。
1982年(昭和57年)
未来技術予測を発表
科学技術庁が、専門家約2千人に聞いてまとめた今後30年間の「未来技術予測」を発表した。
予測の主な内容は「2001年にはがん予防が可能に」「99年には人工臓器を自宅で使用」
「1カ月以内に大地震を予知できるのは2006年」などだった。
1939年
トルコで大地震
トルコのアナトリア半島東北部が7回以上にわたって激震に見舞われ、特に被害が大きかった
エルジンジャン地方では92の市町村でほとんどの建物が崩壊、交通・通信網も破壊された。
吹雪も重なり、死者だけで3万人を越える同国史上最大級の災害となった。
12月26日
1982年
「年男」に電算機
米国の有力週刊誌タイムが、毎年新年号で特集する「マン・オブ・ザ・イヤー」(年男)にコンピューターを
選出したと発表した。過去1年間の最重要人物を選んで「年男」とする企画は27年前から始まったが、
人間以外が選ばれたのは初めてだった。
1954年(昭和29年)
史上最長のスト終結
日本の労働運動史上最長の193日に及んだ日本製鋼所室蘭製作所のストが、ようやく解決した。
経営難に苦しむ会社側が、大量指名解雇通告を突然出したことで始まった争議は、組合員の家族ぐるみの
闘争となったが、労使が中労委のあっせんを受け入れた。
12月25日
1975年(昭和50年)
「およげ! たいやきくん」を発売
民放の幼児番組から生まれた「およげ!たいやきくん」のレコードが発売された。サラリーマンの気持ちを
代弁したような歌詞と心に響く曲調で470万枚を越えるヒットとなり、シングルのレコード販売で
国内最多記録を樹立した。
1971年
ホテル火災で163人死亡
韓国・ソウル市の21階建ての高級ホテル、大然閣の2階から出火、全館が猛火に包まれ、
日本人宿泊客10人を含む163人が死亡するという韓国ホテル火災史上、最悪の惨事となった。
消防車の放水は4階までしか届かず、13時間にわたって燃え続けた。
1975年(昭和50年)
赤字国債発行決まる
第76臨時国会で財政特例法案が政府原案通り可決され、2兆2900億円に上る赤字国債の発行が
決まった。赤字国債は戦前、インフレの原因となったため、財政法4条で禁止されていた。
しかし、政府・自民党が野党の反対を押し切り、法案を強行採決した。
1968年
月面を初めてテレビ中継
米国の宇宙船アポロ8号が月周回軌道に乗り、月面のテレビ生中継を初めて地球に送った。
月面の印象についてラベル飛行士は「灰色で砂のような世界だ」と報告。8号は翌年に予定される
月着陸地点を探すなどの作業を終え、27日に無事帰還した。
12月23日
1986年
無給油・無着陸で世界一周
米国の軽量特殊実験飛行機「ボイジャー」が初の無給油・無着陸での世界一周に成功し、
カリフォルニア州の空軍基地に帰着した。ルタン退役空軍中佐ら2人が乗った同機が西回りで飛んだ距離は
4万2千キロ。滞空時間はまる9日と3分44秒だった。
1942年(昭和17年)
大日本言論報国会が発足
国粋思想宣伝の役割を果たす大日本言論報国会の設立総会が開かれ、日本文学報国会会長でもある
徳富蘇峰を会長に選出し発足した。内閣情報局の指導でつくられた言論報国会の会員には
戦争に協力的な評論家が選ばれ、「改造」などの総合雑誌を攻撃した。
12月22日
1972年
アンデスから奇跡の生還
10月にアンデス山脈に墜落、全員絶望と見られたウルグアイ空軍のチャーター機の生存者2人が、
遭難から72日目のこの日下山。残る生存者14人も冠雪のアンデス山中から山岳救助隊などの手により、
奇跡的に救助された。わずかな菓子類や雪解け水で生き延びた。
1947年(昭和22年)
改正民法を公布
個人の尊厳と男女の平等という憲法の精神に基づいて改正された民法が、この日公布された。
改正民法は妻を法的に無能力とする総則規定を削除。戸主権や長子相続を原則とした家督相続の
規定も廃止されるなど、封建的家族制度の一掃が図られた。
12月21日
1975年
OPEC本部を襲撃
オーストリアのウィーンで、定例閣僚会議開催中の石油輸出国機構(OPEC)本部が6人のゲリラに
襲撃された。「アラブ革命の腕」と名乗るゲリラは3人を射殺した後、閣僚らを人質にとり本部を占領。
しかし、アルジェリアで人質を解放し、当局に投降した。
1946年(昭和21年)
南海道大地震起きる
近畿・四国地方を中心に「南海道大地震」が起きた。被災地は和歌山、高知、徳島など25府県に及び、
死者1330人、全半壊約2万戸、被災者23万人以上の大きな被害をもたらした。
この地震は、戦後復興の緒についたばかりの日本にとり大きな痛手となった。
1957年(昭和32年)
教職員の勤務評定了承
文部省が、11月に都道府県教育長協議会が発表した「教職員の勤務評定試案」を了承、翌年4月実施を
目標に打ち出した。これに反対する日教組は非常事態を宣言し、全国的な反対闘争を展開。この闘争で
108人が起訴され、解雇70人を含め6万人が処分された。
1952年
「生きた化石」を生け捕り
アフリカ大陸とマダガスカル島の間にあるコモロ諸島で、全長約137センチ、重量約40キロもある
シーラカンスが生け捕りにされた。7000万年前に絶滅したとみられていた魚だが、38年に南アフリカ沖で
生存が確認され、その後懸賞金をかけての捜索が続いていた。
12月19日
1990年(平成2年)
国連機関トップに緒方氏
デクエヤル国連事務総長が、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップである難民高等弁務官に
緒方貞子元国連日本代表部公使をを指名した。女性が国連機関の最高責任者になるのは、
国連人口基金のナフィス・サディク事務局長に次ぎ2人目だった。
1984年
香港返還宣言に調印
英国のサッチャー首相と中国の趙紫陽首相が北京で、香港問題に関する共同宣言に正式調印。
これで、香港の主権は97年7月1日をもって中国に返還されることが決まった。香港は第1次アヘン戦争に
伴う1842年の南京条約で英国に割譲されるなどしていた。
1971年(昭和46年)
円が大幅切り上げに
米ワシントンで開催された10カ国蔵相会議は、通貨の多国間調整で合意、円の新為替レートは
1ドル=308円と決まり、20日から実施された。西ドイツ、英国、フランス、イタリア4カ国の通貨も
切り上げられたが、切り上げ率は円の16.88%が最高だった。
1908年
飛行で2つの新記録
5年前にエンジン付き飛行機で人類初の飛行に成功した米国のライト兄弟の弟オービルが、
フランスのルマンで飛行の新記録をつくった。1回目の飛行では152キロを1時間45分で飛び速度記録を、
2回目は高度108メートルに達し高度記録をそれぞれ樹立した。
1977年(昭和52年)
リニアモーターカーが浮上
世界で初めての超電導磁石を使用した超高速鉄道リニアモーターカーの浮上走行実験が
宮崎県日向市美々津−児湯郡都農町間3.1キロの実験線で成功した。実験車は出発点から
800メートルで高さ10センチに浮上、30秒間で2キロの距離を走り抜けた。
1935年
DC3がデビュー
米ダグラス社が開発した新型の双発プロペラ旅客機が初飛行を行った。第1次大戦後、発展した
商用航空業界に君臨していたDC2の全面改良機。当初はDC2と同じ寝台機だったが、普通座席に改造。
翌年6月からDC3として販売、各国から注文が殺到した。
1932年(昭和7年)
百貨店が全焼
帝都5大百貨店の一つ、東京・日本橋の白木屋呉服店で火災が発生、3時間にわたって燃え続け
7階建ての建物が全焼した。この火事で14人が死亡、110人以上が負傷した。日本で初めての
高層ビル火災で、放水が届かず消火作業は困難を極めた。
1921年
サンサーンスが死去
組曲「動物の謝肉祭」、交響詩「死の舞踏」で知られるフランスの作曲家サンサーンスが、アフリカ旅行の
途中、アルジェで死去。86歳。4歳で作曲するなど「モーツァルトの再来」と言われた。作品はオペラも
含めて幅広く、近代フランス音楽への道を開いた。
12月15日
1965年
初の宇宙ランデブーに成功
4日に打ち上げられた米衛星船ジェミニ7号が、太平洋上で同6号と史上初のランデブー(宇宙会合)に
成功した。ランデブー技術は月旅行計画に不可欠な「ドッキング」の予備的技術として通らなければならない
関門で、これに成功していないソ連に差をつけた。
1906年(明治39年)
年賀はがきがスタート
逓信省が「年賀特別郵便規則」を公布したことを受け、この日から全国各地で初めての年賀郵便の
取り扱いが始まった。料金を完納した10通以上の普通郵便物を一束にして「年賀郵便物」と書いた札を
つけて29日までに窓口に出せば、元旦の最先便として配達された。
12月14日
1939年
「風と共に去りぬ」封切られる
米国の作家マーガレット・ミッチェルのベストセラーを映画化した「風と共に去りぬ」が、原作の舞台と
なったジョージア州アトランタで封切られた。制作費600万ドル、上映時間3時間37分という史上空前の
大作。この日、同州は特別休日となった。
1910年(明治43年)
日本の空に飛行機飛ぶ
陸軍大尉、日野熊蔵が乗ったドイツ製ハンス・グラーデ単葉機が東京・代々木練兵場で試験飛行に成功、
日本の空で初めて飛行機が飛んだ。最初は高度1メートルで約30メートル飛行。次は高度が10メートルに
上がり、約60メートル飛んだ。五日後に陸軍大尉、徳川好敏の操縦機が記録更新。
1981年
ポーランドに戒厳令
ポーランドのヤルゼルスキ首相が、全土に戒厳令を敷き、「救国軍事評議会」が今後の国政運営に
当たると宣言した。同時に一切の労働組合運動を禁止し、自主管理労組「連帯」の幹部多数を逮捕、
ワレサ議長を軟禁した。連帯は翌14日から各地でストに突入した。
1902年(明治35年)
「哲学館事件」起きる
文部省が、私立大学の哲学館(現・東洋大学)に与えてきた卒業生の教員免許認可を取り消した。
同館の中島徳蔵講師の倫理学講義の内容が「国体を損なう不穏なものである」との理由だった。
これに対し、世論は「私学への不当な弾圧だ」などと沸騰した。
12月12日
1908年(明治41年)
「パンの会」を結成
東京・隅田川畔の料理店に反自然主義、耽美派を主張する文学者、美術家が集まり、文芸懇談会
「パンの会」を結成した。会員は雑誌「スバル」の同人だった北原白秋や木下杢太郎などのほか、
高村光太郎、永井荷風らも加わり、12年まで新芸術運動を展開した。
1901年
大西洋横断無線に成功
イタリアの発明家グリエルモ・マルコーニが、大西洋横断の無線通信に初めて成功した。
イングランドのポルデューで発信した「S」という文字を、カナダのニューファンドランド島で受信させ、
水平線を越える無線通信は不可能という当時の常識を覆した。
12月11日
1959年(昭和34年)
三池争議始まる
大牟田市の三井鉱山三池鉱業所が、三井炭鉱労組員1277人に対し、氏名解雇通知書を郵送した。
15日までの期限付きで、退職を申し出なければ自動的に解雇になるとの内容。組合は翌年1月5日に
解雇通知を一括返上。その後、無期限全面ストに突入した。
1931年
大英帝国が消滅
英国で、本国と自治領の地位は相互に平等であり、王は連邦統合の象徴であるとする
ウェストミンスター法が制定された。第1次大戦後、英国の国力が衰退する一方、自治領、植民地の
発言力が高まったためで、大英帝国に代わり「英連邦」が新たな呼称となった。
12月10日
1969年(昭和44年)
DDTなど製造中止に
日本BHC工業会が、殺虫剤として大量に使用され、稲作生産に寄与してきたBHC、DDT原体の
国内向け製品製造の中止を決めた。残留毒性が強く、動物実験で発癌性があることが分かり、
使用制限や禁止に踏み切る国が相次いだためだった。
1901年
初のノーベル賞授賞式
ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルの寄付金で設けられた
ノーベル賞の第1回授賞式がストックホルムで行われた。受賞者は、エックス線を発見した物理学賞の
ウィルヘルム・レントゲン(ドイツ)など5部門6人。
12月9日
1986年
米国で原発事故
米バージニア州にあるバージニア電力会社サリー原子力発電所で軽水炉(73年から運転開始)の
冷却管が破れ、高温の水蒸気、熱水が噴出。作業員8人がやけどを負い、うち2人がその後死亡した。
炉は自動的に停止し、放射性物質の漏出はなかった。
1967年(昭和42年)
銀座などの都電消える
鉄道馬車の時代から85年の歴史を持つ銀座線など都電の9系統8路線がこの日かぎりで姿を消した。
累積赤字が膨らみ、1月に財政再建団体に指定された東京都営交通の再建策の一環。翌日からは
代わって都バスを運行。他の都電も荒川線を除き、順次廃止された。
1980年
ジョン・レノン凶弾に倒れる
元ビートルズのジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前で射殺された。熱狂的ファンという犯人の動機は
不明で、精神鑑定に回された。ポール・マッカートニーらとともに「イエスタデイ」など多くの名曲を生み出す
一方、「愛と平和」を願う活動家でもあった。
1963年(昭和38年)
力道山刺される
「空手チョップ」を得意技とする人気プロレスラー、力道山が東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員に
登山ナイフで刺され、15日死亡した。39歳。「足を踏んだ」「踏まない」の口論の末の凶行だった。
大相撲の関脇から転向、一大プロレスブームを巻き起こした。
12月7日
1946年
米で最悪のホテル火災
米ジョージア州アトランタにある15階建てのワインコフ・ホテルで朝火事があり、死者117人、
負傷者100人以上を出す米ホテル史上最悪の惨事となった。建物は耐火建築だったが非常階段などの
設備がなく、多くの宿泊客が階上から飛び降りて犠牲になった。
1913年(大正2年)
大リーガーが初来日
世界一周野球団として初来日した米大リーグのニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの
連合軍が、実力日本一とされた慶応大学と三田の慶応グラウンドで対戦した。慶応は名投手・菅瀬一馬を
マウンドに送ったが、猛打を浴び16−3で惨敗した。
1975年(昭和50年)
正木弁護士が死去
戦後のえん罪事件の弁護を務めた正木ひろし弁護士が肝臓がんのため、都内の病院で死去。79歳。
裁判での不正糾弾を基本姿勢に、51年に山口県で起きた八海事件では17年間の裁判の末、4被告の
逆転無罪判決をかちとった。これは映画「真昼の暗黒」になった。
1955年
オーストリアの永世中立を承認
米国、英国、フランス、ソ連の4カ国政府がそれぞれの首都に駐在するオーストリア大使に、
同国の永世中立を承認する旨の覚書を手渡した。覚書は、同国駐在の4カ国大使が起草した。
オーストリア議会は10月26日、永世中立を宣言した憲法条項を可決していた。
12月5日
1933年
米が禁酒法を撤廃
米連邦議会で可決されていた禁酒法撤廃が正式に成立、20年から続いた禁酒法時代が終わり、
酒類の販売が許可された。禁酒法は酒類の醸造・販売を禁じたものの飲酒そのものは除外したことから、
ギャングが密売で勢力を伸ばすなどの弊害をもたらした。
1904年(明治37年)
ロシア軍要塞を占領
日本の第3軍がロシア軍の難攻不落の要塞だった二〇三高地を占領、旅順攻略の拠点を確保した。
それまで3度の総攻撃をかけたが失敗、6万人近い死傷者を出していた。日本軍は6日から28センチ砲の
巨弾を旅順港内に撃ち込み、ロシア艦隊のほとんどを撃破した。
12月4日
1989年
「プラハの春」で自己批判
モスクワで開催中のワルシャワ条約機構首脳会議は、68年のチェコスロバキアの民主化運動
「プラハの春」を戦車で押しつぶしたのは誤りだったと自己批判。ソ連など軍隊を派遣した5カ国が声明で
「内政干渉だった」と言明した。21年ぶりに民主化運動が復権。
1982年(昭和57年)
「E・T」日本公開
米国で大当たりしたスピルバーグ監督の「E・T」が日本封切りになる。少年と宇宙人の心温まる交流を
描いたSFファンタジー映画。一部評論家は「お子さまランチ」と評したが、大ヒットし、観客は1000万人を
突破。配給収入も93億円の日本記録を樹立した。
1967年
南極で最大の火山爆発
南極のデセプション島で南極最大規模の火山爆発が起きた。この爆発で島の湾に沿って並んでいた
チリ、アルゼンチン、英国の観測基地がほぼ全壊の被害を受けたが、3カ国の観測隊員計52人は
ヘリコプターなどで救出され無事だった。
1945年(昭和20年)
女子教育要綱を決定
幣原喜重郎内閣が「女子教育刷新要綱」を閣議決定した。連合国軍総司令部から学校教育民主化など
5大改革の指令が出されたことを受けたもので、女子大の創設、大学の男女共学実施などが内容だった。
この要綱の閣議決定で、閉ざされていた女性の高等教育の道が開かれることになった。
12月3日
1967年
初の心臓移植手術
南アフリカの外科医グループが世界初の心臓移植手術を行った。交通事故死した24歳の女性の心臓を
摘出し、重度の心臓病で入院中の56歳の男性に移植。一時は歩いてバルコニーへ出るほど
元気だったが、拒絶反応を防ぐ薬物療法の行き過ぎで肺炎を起こし18日後に死亡。
1946年(昭和21年)
初のクイズ番組が登場
初のクイズ番組「話の泉」がNHKラジオで始まった。米国の番組を参考に独自の味付けを加えたもので、
回答者の堀内敬三、渡辺紳一郎らは全国的な人気者に。窮乏の時代の国民に大きな慰めを与えた番組
には、1日千通を越す出題のはがきが寄せられた。
1926年(大正15年)
「円本」時代始まる
改造社の「現代日本文学全集」(全63巻)が発売された。関東大震災後の大不況の中で
1冊1円の廉価が人気を集め、予約購読だけでも35万部に達した。
1円均一のタクシー「円タク」にならって「円本」と呼ばれた。他社も文学全集を出版、円本ブームになる。
1926年
著名推理作家が失そう
ポワロなどの名探偵を生み出した英国の「ミステリーの女王」アガサ・クリスティーが、この日失そうした。
大騒ぎになった失そう原因は夫の不倫。あまりのショックで一時的記憶喪失に陥り、10日後に
ヨークシャーの温泉保養所にいたところを発見された。
12月2日
1990年(平成2年)
日本人、初の宇宙飛行
TBSの秋山豊寛が乗ったソユーズTM11号がソ連のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。
地球1周後の感想を「やっぱり青いですね」と報告。宇宙科学ステーション「ミール」とドッキングし、
宇宙から実況放送した世界初のジャーナリストになった。
1961年(昭和36年)
柔道ニッポンが敗退
第3回世界柔道選手権大会(パリ)の決勝で、オランダのアントン・ヘーシンクが日本の曽根康治6段を
破り優勝。日本は初めて柔道の王座を外国人に譲った。決勝でヘーシンクは送り足払いで曽根6段を
倒した後、左けさ固めに入り、7分50秒で勝負を決めた。
1942年
ウラン核分裂実験に成功
米シカゴ大学の実験原子炉で、イタリアから移住したノーベル賞受賞物理学者エンリコ・フェルミらが
ウラン核分裂の連鎖反応テストに成功した。持続的連鎖反応装置の最大出力は0.5ワットに
すぎなかったが、この成功により原子力利用の道が開かれた。
1908年
ラストエンペラー即位
清朝で数え年3歳の溥儀が宣統帝に即位。3年後の辛亥革命で退位し、清朝最後の皇帝になった。
紫禁城に住んだが、34年には日本の傀儡として満州国皇帝になる。収容所生活などを経て67年死去。
自伝「わが半生」は世界に反響を呼んだ。
12月1日
1982年
初の人工心臓埋め込み手術
米国ユタ大学医療センターで世界初の永久型人工心臓の埋め込み手術が行われた。
患者は重い心筋症で不治を宣告された61歳の男性。永久型心臓はまだ動物実験の段階だったが、
患者が「人類のために」と同意。翌日朝、人工心臓により再び血液が流れ始めた。
1970年
イタリアで離婚法成立
イタリアで違法とされていた離婚を合法化する離婚法が成立した。
しかし、条件は厳しく、5年以上別居が続いている場合などに限定。別居夫婦が15〜20万人いるといわれ
離婚申請の第1号は75歳の男性だった。ローマ法王庁はカトリックの精神に反すると抗議。
1958年(昭和33年)
1万円札がお目見え
初の1万円札が日銀から発行され、市中に出回った。肖像は聖徳太子。この日、東京中に配られた
1万円札は16、17万枚。手にしたのは会社や商店がほとんどで「見ておかないといざというとき困るから」と
見本用。しばらくは庶民に縁のない高額紙幣だった。
1912年(大正元年)
初の警察犬が登場
警視庁が日本で初めて警察犬を採用、その訓練係員を任命した。犬の鋭い臭覚と命令への服従性を
犯罪捜査に利用するのが目的。採用されたのは雄の「バフレー」「リリー」の2匹。翌年7月に警視庁前で
行われた公開訓練で命令に従う犬の姿は観客を驚かせた。