平成版「花巻の名人・達人」−今様,鶴陰の人々―
                                       



第17回 大内 俊佑

1 大内俊佑・・食品製造・販売・豆匠 

2 昭和145月  花巻市豊沢町に生まれる

3 父 栄助 母 ナミ

4 仕事との関わり 

 大内さんの家業は、曾祖母シマさんが明治20年に豆腐を製造販売してからのものだそうです。ご先祖は、江戸時代は豊沢町で肝入を勤めたそうですが、明治維新後、世の中が変り、色々仕事をやってみて、この商売に落ち着いたのだそうです。

大正になり、シマさんと一緒に家業に従事していた先々代栄助(俊佑さんの祖父)さんが、その後、製造品目を増やし、藁苞(わらつと)納豆や、当時としては珍しいサイダー、ラムネも始めたそうです。サイダーは同じ町内の宮澤賢治も買いに来たとのことです。

大正12年頃、先代栄助(金助・俊佑さんの父)さんが、宮澤賢治が花巻農学校で教えていた頃に、丁度入学しました。卒業後、その縁があったのか、盛岡高等農林の村松舜祐博士のもとで助手として、納豆菌の純粋培養の研究に携わったのだそうです。というのは、大内家では納豆の製造を大正の初め頃から始めましたが、藁苞には納豆菌以外に雑菌が多く付着するので、製造に失敗するケースがしばしばあったので、その点を克服する目的があったのかと思われます。

そのような、環境の中、俊佑さんは昭和37年、卒業とともに、家業に携わることになったそうです。納豆は、大豆を、前の日に水に浸け(浸漬)、翌日、圧力釜で蒸し(蒸煮)、まだ熱いうちに納豆菌を吹付け、容器につめる、その後、醗酵室に移す。という、プロセスを経るものなのだそうです。豆腐、納豆ともに品質、販売先ともに安定した軌道に乗ってきましたが、昭和40年に先代が亡くなり、しばらくし、昭和48年のオイルショック。此の時が最大のピンチだったそうです。原料大豆の確保のために、近在の農家にお願いし廻り、何とか乗り切ったとのことでした。

原料大豆は、豆腐用は主にアメリカ大豆、納豆用は中国大豆と国産大豆をそれぞれ使用しているそうですが、今後国産にシフトすることを計画しているとのことです。大内さんとしては、これからも大豆加工食品を中心とした伝統食品を追求するとの思いだそうです。そして、120年続いた家業を、ご子息、お孫さんにも是非受け継いでほしいとの事でした。 


電話0198-23-2815

 

                       

少量多品種のモットー通り、30種類近い商品の一部






昔ながらの老舗の帳場の面影のある部屋で大内俊佑氏(平成19年10月3日撮影、68歳)


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