11  「稗貫のみかも」について

今年(平成24年)の花巻祭は珍しく雨にあたらず、3日間、山車も予定どおり運行した。

我が町内の人々も大喜びだった。

こんなに天気がいいのも珍しい。何年ぶりだろうか。

ふと、宮沢賢治の辞世と言われる歌を思い出した。

 

方十里 稗貫のみかも 稲熟れて 
み祭三日 そらはれわたる

 

 いつも気になるが、「のみかも」の部分が釈然としない。

図書館で、新宮沢賢治語彙辞典(著者 原子朗)を調べる。

「方十里」の項を見た。そこに、

大意は、「十里四方、稗貫地方だけでなく、いちめんに稲は熟れて、花巻の鳥谷ヶ崎

神社の祭礼の三日間、空もはれわたっているよ」   とあった。

「のみかも」をonly,Ifと解し、しかし、それだとあんまり、賢治の考えが偏狭に思われそうなので、onlyを反語と解釈し、「だけでなく」と賢治の意を体して、解釈しているようだ。

 しかしやっぱり釈然としない。俵万智さんなら「のみ、かも、よ」と歌うかもしれないが。

賢治の「(いたつき)のゆえにもくちんいのちなり

  みのりに 棄てば うれしからまし」の語調からして。「のみ かも」は軽すぎる。

 

まだ自分でもすっかり納得したわけではないが、まず「のみかも」を「の みかも」と考えた。の は普通の「の」である。「山の上」などと、名詞をむすびつける格助詞だ。

次いで「みかも」を漢字で書くと「御禾面」となると考えた。

 

御(み)は禾面にかかる尊称としてつけたのだろう、賢治は農地を非常に大事にしている。この歌では後に出て来る祭り、日と呼応しており、韻を踏んだ効果にもなる。「のみ かも」では、韻の議論は出てこない。

 

禾(か)は一般に稲類の穂をさす。賢治の使用例として

 

春と修羅 第二集「休息」(作品第29番).

     すがれの禾草を鳴らしたり

     三本立ったよもぎの茎で 

ふしぎな曲線(カーブ)を描いたりする

 この「休息」の「禾」と、本文の対象とした歌の「み か も」の「か」とは、意味が異なるような気がする。歌では、一般的な「禾」、米や雑穀も含めた物、いわゆる「穂物」を意味したのではないだろうか。ちなみに今現在でも花巻は雑穀日本一と称し、雑穀の生産に力をいれている。まして、昭和の初期には、米との比率が現在ほど低くは無く、稗貫の農家にとって非常に大切な収穫物だった。賢治もそれを痛いほど知っていた。

彼は米も雑穀もと言いたかったのだろう。

面(も)は一般には田面(タノモ)などと使われるが、耕地、田畑のこと、と、思われる。

以上まとめると、みかも=御禾面は「大変有難い米や雑穀の取れる田畑」ということになるのではないだろうか。

 

従って、短歌の大意は

十里四方と言われる稗貫郡の田畑一面は稲も雑穀も充分に成育し

お祭の3日間も好天気だ  

  という意味になると思われる

「稲熟れて」に雑穀を入れることについて議論があるかもしれないが、短歌という限られた字数なので、賢治としては、「禾」という文字を一度使ったことで、次の稲と云うことばで代表させられると考えたのではないだろうか。

正直言って、まだ自信は無い。しかし、「のみ かも」はやっぱり納得出来ない。

多少でも今後の議論のきっかけになればと云う思いである。

    (平成27年4月30日追加)

つい最近、滋賀県に在住の高校同期生佐々木氏からメールを頂いた。

彼とは卒業以来1、2回しか会っていないが、例の「ヒデリ」について

メールをやり取りしたことが有ります。関西で賢治関係の集まりに

良く参加して、学び続けているようでした。

 彼によれば、「のみかも」は「の御氈」ではないか、とのことでした。

賢治の「氈」の使用例として、文語詩の「夕陽は青めりかの山裾に」をご教示頂きました。

 長くなりますが、下に引用します。

(省力の為「宮澤賢治の詩の世界」という壮大なホームページから当該詩をコピーさせていただきました。以前に管理者の方に伺いましたら、差支えないとの事でしたから。あしからず。)

〔夕陽は青めりかの山裾に〕

   

   夕陽は青めりかの山裾に

   ひろ野はくらめりま夏の雲に

   かの町はるかの地平に消えて

   おもかげほがらにわらひは遠し

   

   ふたりぞたゞのみさちありなんと

   おもへば世界はあまりに暗く

   かのひとまことにさちありなんと

   まさしくねがへばこころはあかし

   

   いざ起てまことのをのこの恋に

   もの云ひもの読み苹果を喰める

   ひとびとまことのさちならざれば

   まことのねがひは充ちしにあらぬ

   

   夕陽は青みて木立はひかり

   をちこちながるゝ草取うたや

   いましものびたつ稲田の氈に

   ひとびと汗してなほはたらけり

詩の最後から2行目「いましものびたつ稲田の氈に」の「氈」は、「カモ」

と読むのだそうです。

あわてて、諸橋大漢和辞典を開きましたが、「カモ」の読みはありませんでした。

しかし手軽な(失礼?)松村明の大辞泉には「かも」「氈」 獣毛で織った敷物。おりかも。

と、ありました。

 

 それに従いますと、賢治の詩のこの行は「豊作で、毛氈のような一面の分厚い稲穂の広がり」を表したと思われます。

 このページの本題に戻りますが

「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる」

   を佐々木説に寄り、一部漢字化すれば

「方十里 稗貫の御氈 稲熟れて 御祭三日 空晴れわたる」

   と成るかと思われます。

いずれにせよ、「のみかも」の従来の解釈は、いかがかとおもわれますが。

              (ここまで、平成27年4月30日 追加)

 
 
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