9 「小岩井農場」の詩句の解釈について
       − 鶯とハンス ー

平成18年12月「風のセミナー」で「小岩井農場」の講義を原子朗先生から受けた。日本で一番長い詩だとのことであった。以前に読んだ時は、退屈し、いっぺんに読み終えることが出来なかったが、この講義により大分わかってきたつもりになった。しかし、細かいところでは、まだ理解できないところが、ままある。この2年、その思いで、いつか調べてみよう、そのためには、先ず、小岩井に行って見よう、と、思いながら時間が過ぎた。しかし、その時を待っていたのでは何時になるかわからなくなってきたので、とりあえず、地道に一字一句、理解しようと初心に帰って読み直した。その結果、1箇所だけ判ってきた。パート一の例のハンスのところである。

以下、結論だけ。

「鶯もごろごろ啼いてゐる 」 遠くでは雷がごろごろ鳴っている。

「その透明な群青のうぐひすが 」 雷を鶯に喩えた事を読者に暗に知らせるために、ここで、この鶯の色が透明(光=稲妻)であることを告げる。即ち、やはり鶯は雷である。 

「(ほんたうの鶯の方はドイツ読本のハンスがうぐひすでないよと云つた)」しかし、雷を鶯に喩えることが、あまりにもとっぴな比喩かもしれないと賢治は自省したので、ドイツ語の読本のハンス(ハンス・アンデルセン・クリスチャンか、それとも、ドイツの物語に出てくる正直者のハンス(たとえば、「金の斧」のきこり))なら、そのような飛躍しすぎの比喩を認めない(書かない)だろう、と、言う意味の補足をし、言い訳がましく、飛躍ぎみの比喩の事実を読者に公表したのか、しなかったのか。

以上で、この部分の詩句の意味が整理されたのではないだろうか。このように解釈して来ると、パート二の「たむぽりんも遠くのそらで鳴ってるし」に、視線が向う。その部分は、天沢氏によれば、「これはタンバリンを思わせる音が聞こえて来た事の隠喩表現ではなくて、実際にはその音はきこえないけれどどうしても遠くの空でタンバリンが鳴っているような気がしてしかたがなかった」・・「イメージである以上現実音の不在を前提とする」(宮沢賢治研究叢書4「春と修羅研究U」所収「小岩井から・・・・・・小岩井へ・・・・・・」45頁)と、解されているが、私見によれば、パート一での飛躍気味の比喩を、ここでは軌道修正、もしくは詩人としての感性からか、彼の真意は不明であるが、とにかく、雷を「たむぽりん」と別な表現で比喩したものだろう。

そして、これら一連の比喩を「現実音」の雷と解することにより、パート七の「雨のつぶ」や「すっかりぬれた 寒い がたがたする」とうまく結びつく。現実音は、始めは遠くに存在していたが、パート七では賢治にまで降りかかってきた雨に変わったのである。

次にまた、別の見方をすれば、何故、飛躍しすぎの比喩「鶯」を取り消して「たむぽりん」に統一しなかったのだろうか。全くの推測だが、賢治は「その透明な群青のうぐひすが 」という表現がものすごく気に入ったのだろうと思う。その表現をしたときは、きっと、勝ち誇った気持ちになったのだろう。自分以外、誰がこのような表現を考え付くのだろうか。と。だから、その表現を生かした。しかし、パート二まで、その表現を続けることまでは出来なかった。やはり、彼にとっても、「鶯」の比喩は大きな冒険だったのだろう。少し自省し、逡巡しながら、括弧書の曖昧な注釈をつけた。

いや、それとも、比喩を変えることが、更にこの詩を高めたことだったのか。

 (この文は宮沢賢治学会イーハトーブセンター 会報 第39号に掲載していただいたものです) 

 (追加)






















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後で気がつきましたが、筑摩書房版「宮沢賢治全集」2
「春と修羅 第二集」の「水源手記」(作品第一七一番)(315頁)
の中程に、
 「熟した巻雲の中の月だ
  一挺の銀の手斧が
 水のなかだかまぶたのなかだか
 ひどくひかってゆれている
 太吉がひるま
 この小流れのどこかの角で
 まゆみの藪を裁っていて
 帰りにここへ落としたのだろう
 ・・・・・」
と、書かれています。この文意からすると、
、賢治が「小岩井農場」で云った「ハンス」は、「金の斧」(
イソップ寓話) の主人公を「ハンス」と呼んだ可能性が
強いような気がします。
(平成24年12月23日 追加 25年12月29日訂正)