[よだかの星]の「市蔵」 について       19年9月22日

よだかの星に出てくる「市蔵」と言う名前については、みなさんは既におなじみのことと思います。実は、この名前と同じ人物が、江戸時代に、賢治の生まれた所、豊沢町に住んでいた、と、言うことが判りました。花巻地方の色々な出来事を記述した「二郡見聞私記」という本があります。作者は和田甚五兵衛 氏武という人で、文政頃に書かれたものと言われています。その、「巻の二」に「市蔵か事」と題されております。要約致しますと、宝暦年中に、豊沢町の次郎八という染物屋に、市蔵という70過ぎの独身の男が使われていました。信心深く、高い山に年に一度づつはお参りすることを、欠かしませんでした。特に岩手山、早池峰山、釜石の尾崎には、毎年、春に杉の苗を持って行き、植えてきました。この人は酒好きで、何時も飲んでいたようです。あるとき、例のように、岩手山に登ろうとしましたが、酒を飲みすぎて、岩手山の麓、柳沢で寝込んでしまいました。そのときに、懐から財布を盗まれました。同じ日に、偶々、花巻からやってきた善蔵という者も、お金を盗まれたそうです、一緒に犯人を探しましたが、幸にも、そこから少し離れた老婆の家で、多分、息子が盗んで隠しておいた物らしいものが見つかったそうです。これは、岩手山のご加護によって、盗まれたものが回復出来たのだろう、と、皆で話したそうです。この市蔵は80過ぎて亡くなったそうですが、豊沢町近くの松庵寺に葬ったと書かれてあります。

 この話を読んで、すぐに、よだかの星の「市蔵」と言う名前を思い出しました。賢治はこの話を知っていたのではないだろうか、とも、想像しました。そこから想像がさらに拡がり、虔十公園林の「虔十」の生き方、及び、賢治そのものの生き方に何か影響を与えたのではないか、と、いう気もいたしました。つい最近、知ったばかりなので、実証的な調査は不十分ですが、取り敢えず松庵寺の住職さんにお尋ねした所、早速、調べていただき、明和2年(1765年)、これは宝暦の次の年号ですが、その4月20日の項に「染や二郎八 門 市蔵」戒名「生誉浄往信士」と、記録されているそうでございます。何かの参考になればと思い、この場を借りて、ご紹介いたしました。

1 宮沢賢治研究(ANNUAL) 11巻(2000年発行)から16巻(2006年発行)には、よだかの星の「市蔵」と2郡見聞私記の話を結びつける資料が出てきていないのであえてここで紹介した。それ以前については調べなかった。

2 南部叢書第九冊 二郡見聞私記 巻二 所収(昭和377日発行)南部叢書刊行会 発行

3 これは、平成19年9月22日宮澤賢治学会イーハトーブセンターの総会の日に、総会後、
  イーハトーブサロンとして「私と賢治」というテーマで5分ほど気軽に述べ合う時間に、偶々数日前に指名された
  小生が、つい最近判った話として紹介した物です。


 


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